歳を重ねてきても学習を継続することは、とて
も大切で貴いことです。
論語に次の章句があります。
吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、
五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所
欲、不踰矩。
吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、
四十にして惑わず、五十にして天命を知り、
六十にして耳順(みみしたが)い、七十にし
て心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰
(こ)えず。
私は十五歳の時、学問を志した。三十歳の
時、何者にも動じない立場を持てるように
なった。四十歳、迷いも無くやるべきこと
をやったよ。五十歳でようやく天命を知る
に至った。六十歳ともなると、人の話を素
直にきける余裕も出てくる。七十歳、もは
や心の思うままにふるまって、しかも道義
から外れることが無い。
こういう境地に至ったのだ。
これは、孔子自身が晩年まで成長し続けたこと
を述べたもので、年齢は衰えではなく、成熟して
いる流れと持続の姿勢を保つことを言っているの
です。
學而時習之、不亦説乎
学びて時にこれを習う、亦た説ばしからず
や
学んで習得した内容を繰り返し復習し、よ
り深く理解することであると強調していま
す。そして上達が実感できるとなんと喜ば
しいことだろうと述べています。
また、この章句は、知識の量よりも、自ら求め
て学ぶ姿勢を重視しています。無理をして勉強す
るのではなく、自分のペースで楽しみながら学習
と復習を繰り返すことが、結果として「力」にな
り、生きがいにつながると言っているのです。
日本の儒学者に目を向けますと、佐藤一斎先生
[*1]の「言志晩録」第60条に、次のように「学」
は一生にわたって大事であると述べています。
少而學、則壯而有爲。
壯而學、則老而不衰。
老而學、則死而不朽。
少にして学べば、則ち壮にして為すこと有
り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。
少年の時に学んでおけば、壮年になってか
らそれが役に立ち、何事かを為すことがで
きる。
壮年の時学んでおけば、老年になっても気
力の衰えることがない。
老年になっても学んでいれば、見識も高く
なり、社会貢献もでき、死んでもその精神
は人の中に生き続ける。
[*1]注記:
佐藤一斎先生(1772/11/14~1859/10/19)。
美濃国岩村藩出身の儒学者。諱は坦。通称は捨蔵。字は大道。
号は一斎のほか、愛日楼、老吾軒。
後半生の四十余年にわたり記した随想録『言志四録』(「言
志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋(てつ)録」の四書
の総称)があり、幕末の武士の間で、非常時の覚悟を示した
書として愛読されました。西郷隆盛が終生の愛読書としたほ
か、今日まで長く読み継がれています。
つまるところ、学びは止まることは無く、継続
されるもので、老いは退化ではなく、変化として
受け入れ、前向きに新しいことを学ぶことで人生
の質を高めることができる。
と、孔子も佐藤一斎先生も教えているのです。
(宮本莞爾)